Ginencioは2年生の男の子。両親を去年亡くし、親戚も引き取れる環境になかったので、車で3時間かけてこの孤児院まで送られてきた。
彼は孤児院のなかでも特にまじめな子で、学校に行くし、物は盗まず、ケンカは売らず(買うけど)、先生の言うことは聞くし、とにかく勉強が大好きで、僕が帰る時間になると「もっと勉強したいから帰っちゃだめ、先生!!」と言ってくれる子である。
ある日、孤児院に出勤した日のこと。
いつも学校に行っている彼が、学校の時間になっても孤児院にいる。
おかしいなと思って声をかけてみると、先生に「1年生のときの成績表を持ってきてない生徒は家に帰れ!」と怒鳴られて帰ってきたのだという。
そう、2年生で転校してきた彼は1年生の成績表を持ってないのである。
それはいかんと思い、一緒に孤児院の同僚である教育係の先生のところに話に行ってみることにした。(ちなみにこの先生はめちゃめちゃ怖いうえ、職務中に近所の居酒屋でよく休んでいる先生である。)
僕「Ginencioが 成績表を学校に持っていかなくちゃいけないと先生に言われたらしいんですけど。」
同僚「なに?成績表??そんなもの何のためにいるのよ?」
Ginencio少年「2年生の終わりにテストをするから、成績表が必要なんだって先生が言いました。」
同僚「そんなのおかしいわよ!テストがあるのは5年生と7年生だけ。あなたは関係ない。トモ、この子はまだ小さいから何もわかってないのよ。放っておきなさい。そもそも、この孤児院に入ってきたときに成績表なんて持ってきたの??持ってきてなんかないわよ。どこにそんなものあるというのよ?」
Ginencio少年「・・・。」
同僚「はい、もういいわね、外で遊びなさい。」
僕「・・・。」
ちょっと先生の態度はひどいように思えるかもしれないが、先生にも先生の理由がある。この孤児院の子どもたちはあまり学校に行きたがらない子が多い。やっぱり孤児院の子だということでいやな目に会うことも多いみたいなのだ。だから、子どもたちもいろんな言い訳をして、うそをついて、学校にいかない理由をつくる。子どもたちが学校を休むために何度も嘘をつくことに疲れている先生側からしたら、いちいちまじめに取り合っていたらキリがないのだと思う。
結局、その日は何もしてあげられなくて、残念ながら彼の勘違いだってことを祈るしかなかった。
***
翌日。
やっぱりGinencioは学校に行っていない。
さすがにおかしいと思って、でも孤児院では何もできそうにないので、学校までついていき、担任の先生と直接話すことにした。
授業時間のはずだったけど、先生は偉そうに椅子に座り、同僚と談笑していた。
ポルトガル語の不安はありながらも、成績表が本当に必要なのかを先生に聞いてみると、Ginencioが昨日話していたこととまったく同じ答えが返ってきた。
2年生もテストをやりたいから、やっぱり成績表が必要だと。
孤児院に入ってきたときに成績表までは持って来ていないので、どうにかならないかと担任の先生にお願いしたけれど、先生は「そんなこと知らないわよ。昔いた学校まで取りに行けばいいじゃない?あなたお金持ちだから車ぐらいあるでしょ?え、持ってないの??」と言ってきた。その横柄な態度にぶち切れる寸前だったけど、その先生の隣に座っていた男の先生が「こちらでなんとかします」と言ってくれたので形だけ感謝して、Ginencioと一緒に、そそくさとその場を去った。
***
帰り道、僕たちは無言で孤児院まで戻った。
彼が小さな歩幅で歩いて戻る様子を後ろから見ていると、あまりの現実の厳しさに心が痛み、涙が出そうになった。
小さい頃から、なんてつらい環境で生きていて、
それでもなんでこんなに強いんだろう・・・。
1年生のときに両親をなくした。
親戚に引き取りを拒否され、知らない町の知らない孤児院に入った。
学校の仲間も知らない子どもばかり、制服は与えられなかったか盗まれて、靴もなく、それでも勉強が好きで毎日学校に行っていた。
先生に言われたことを孤児院で頼んでも、誰もまじめに向き合ってくれない。
自分のせいじゃないのに、帰れと学校の先生に怒鳴られて、成績表を取りに行けなんて、無理なことがわかっているのに言われる。
それでも彼はきっと明日学校に行くのだろう。
また勉強がしたいって、僕に声をかけてくるんだろう。
僕が不機嫌な受け答えをしたり、勉強をするっていう約束を守れなかったときも、責めたり怒ったりしたことはない。
いつも、ノートに大きな丸をもらえることを楽しみに、問題を出してもらうのを待っている。
一緒に無言で帰るとき、なぜか自分の小学校時代を思い出した。
恥ずかしかった。
ちょっと友達に嫌なことをされただけで家族にあたったり、何かをさぼったり、何かのせいにしていた自分が恥ずかしかった。
嫌なことがあったときはそれをいつも言い訳にして、結局自分のために使っていた気がする。
いまでも、嫌なことがあるとすぐにほかの事にぶつけたり、逃げたりしてしまう。
彼には、嫌なことがあっても前に誠実に進んでいく力があるように見えた。
その強さを感じたときに、なぜかわからないけれど、すごく悲しくなって、涙が出てきた。
* **
帰ってから、同僚に何があったかを話した。彼は嘘をついていないことを伝えた。同僚は聞こえたような、聞こえなかったような態度だった。
同僚や先生の性格が悪い、なんてことで収まるような問題じゃない。それぞれに、それぞれの理由がある。
現状は、本当に、複雑に絡まりあっている。
せめて、子どもへの信頼を作りたいと思うけど、たった一つ、彼が嘘をついていなかったことを証明したところで、きっと何も変わらないだろう。
だれど、そうやって一つずつ糸をほどいていくことしか、今の自分にはできない。
いつになったらほどけるか、全く先が見えなくても・・・。