こんにちは。

青年海外協力隊として2年間モザンビークで活動中です!

2010年7月24日土曜日

その後。

この前の日記に、コメントやメールをたくさんありがとうございました。
日本語が読みづらいらしいです、すみません。
(ブログを誰に書いたらいいかわからないんだって。笑)
モザンビークにいる日本人は約100人、任地の都市には2名しかいませんが、
インターネットでこうしてすぐ日本の友人から
励ましの言葉をもらえることはめっちゃありがたいです!

***

お金が盗まれていることが発覚した次の日、
子供たちとお母さんに、そのことを伝えました。

"Alguém roubou o meu dinheiro, quando eu tomo banho."
(誰かが、僕が風呂に入っている間に、僕のお金を盗んだんだ。)

子供たちは一瞬驚いた表情をしていたけれど、
「Verdade? Vou falar com vovo」
(ほんとに!?おばあちゃんに話してみる)
と言ったっきり、ほかの事に話題を逸らします。

おばあちゃんにもその後個別に伝えると、
これが大変で...

"Você acha que tem a ladrão na minha casa!?!?!!!"
(あなたは、うちのなかに泥棒がいるって思ってるの?!!)

あなたのためにどれだけ安全に気をつかってきたか、
私がどれだけ人のお金を大切にするか知ってるか?、
なんであなたは私たちを信用しない??、
そうよ、あなたの友達が盗んだんじゃないの??
私はショックだわ・・・

とすごい勢いで反論されます...
というか、逆に怒られてます、もはや。
直感的におばあちゃんは何も知らないなとわかりましたが、こっちも、

「あなたがやったなんて言ってないでしょ。
それでも絶対に家のひとがやったとしか考えられない、
ちゃんとお金は数えたし、僕だってとても悲しい」

と、つたないポルトガル語で伝えました。
もともと人との間に揉め事を起こすことを激しく嫌う性格なので、
こんなに人と言い合ったのも小学生以来です。

散々言い合った後はお互い黙り込み、
僕も部屋に戻りましたが、
10分後におばあちゃんがやってきて、

「いくら盗まれたの?私が払うから。
あの子達が帰ったら、子供と話すわ」
とさびしそうな顔で伝えに来てくれました。

きっと、中学生の孫がやった、子供の好奇心だったんでしょう。。
彼は自分がやったという告白とか、あやまることはしてくれないのでわからない
のですが...
あの日以来、僕が自分の部屋から出ているときに、
おばあちゃんの目から離れたところにいることができなくなり、
おばあちゃんも申し訳ないのか、疑った僕に怒っているのか、
ほとんど会話をしなくなって、
家からは笑い声が一切消えて、
数日は一人で沈黙のなか、ご飯を食べてました。

***

「盗まれた額が少ない額だからといって、気にしない素振りをしていたら、
日本人も自分も馬鹿にされる。
たしかに家族はやさしかったし、楽しかったけど、
彼らが笑ってたのは僕からお金をとってたからかもしれない。」
と思うと、今までの感謝も消えて、しばらくはこっちも怒った様子でいようと
思ってました。

そのときに、一人の日本人の友達から、
「その気持ちはわかるけど、今までの感謝はちゃんと伝えたほうがいいと思うよ。
お世話になってたのは事実なんでしょ?」
って言われて、
それからなんか急にさびしくなったホームステイも、
このまま終わるのがいやになって、
なんとかしたいなぁ~と思い、

ずっと怒りっぱなしでいる必要もないなと思って、

彼らにちょっとでもすれ違ったときは前みたいに、笑顔で挨拶するように変えま
した。
食事のあとには「ありがとう」と、おばあちゃんの部屋の外からだけど声をかけ
るようにして、
なんとか関係の修復をはかっていました。

3日経った今日、久しぶりに自分の部屋に子供が遊びに来てくれたり、
おばあちゃんも大きな声で朝起こしに来てくれて、
久々のこの感覚に、ほっとしました。

こっそり準備していたお礼のカード、
一度はこんなもん絶対渡すかと思ってましたが、
やっぱり感謝は伝えようと思えるようになって。

***

この前会ったモザンビークでの先輩が話してたこと。

「俺はなんかあったら、おもいっきり人と向き合って、
首根っこのつかみあいになるくらいまで、本気でやりあう。
アフリカ人だからといって怒るのをあきらめるのは失礼だと思う。」

本気で向き合うことは面倒くさくて、
勇気がいて、リスクもある行為だと思いますが、
■人と本気で向かい合うこと
■人の失敗、自分の失敗を許しあえるような人間関係を築くこと
は、こっちでアフリカを感じるためにも自分に課す目標です。

2010年7月20日火曜日

アフリカの闇の幕開け。



朝6:00に起きて、部屋の窓を開けると
マプトの街の後ろから太陽が昇ってくるのが見える。
そんな毎日のスタートが大好きだったのに、
今日の朝は曇っていて、なんか悪い予感がした。

今朝、ホームステイ先の人からお金を盗まれてることがわかった。
昨日から怪しいと思って、今朝はシャワーを浴びる前に
ちゃんと数えといて、わざと自分の部屋の机の上においておいたら、
案の定、合鍵を使って扉を開け、お金をとったあとがあった。
とられた額は日本円にして120円、ジュースが10本買えるぐらいのお金。
家の誰がやった仕業かわからないけど、
きっとおばあちゃんと孫二人、みんな知ってるような気がする。
3人は生活を一緒にしているから・・・。
いつから彼らがそうしてたのかわからない。
いくら盗られたかも性格には把握していない。


前から、お金が足りないだとはよく言われてたし、
子供の食事をみても裕福じゃなかったけれど、
よく子供たちは部屋に来て一緒に遊んだり、
おばあちゃんからも「オオクボっていう苗字のほかに、わたしたちの苗字もあげるわ!」
なんて毎日言われていて、笑いが絶えない感じで暮らしてた。

ホームステイもあと一週間ってところで、
あんたたちにお金を盗まれたことを気づいたことを伝えないといけないし、
もう彼らと笑顔で話す気もしない。
お礼のカードも作ろうかと思ってたけど、いいや。

「こっちではよくあることだから、シャワーを浴びるときにも貴重品を持っていきなさい」
とJICAの人には言われた。
そう、こっちではよくあることらしい。

こっちに来てから快適に感じることが多くて、
アフリカに来ているような感じがしなかったけれど、
今日はじめて、「アフリカでの生活」が幕を開けた感じがした。

直接、盗みをした家族と向き合わなくてはいけないのではなくて、
人をこうやって変えていく、アフリカにある魔力みたいな力と、
向き合わされることになるのかな…

2010年7月15日木曜日

運に左右される社会

任地調査など

今は首都のマプトで語学の勉強をしていますが、
先週末は、実際に働くことになる孤児院があるナンプラという都市まで
行ってきました。
ナンプラはマプトから北部に1000キロ離れたところにあり、
飛行機で2時間かかります。
それでもモザンビーク第3の都市といわれるだけあって
首都から離れていても生活の物資などは整うし、
レストランなどもあります。

それでも、首都とそのほかの街との差は激しい!!
マプトは、もはやアフリカの街ではないみたいで、
ベンツは走るわ、
おしゃれなスポーツバーはあるわ、
インターネットが無線でとんでいるわ、
ショッピングセンターがあるわ、
映画館もあって、
僕が日本で想像していたアフリカとはまったく違うところでした。

ナンプラに行くと、映画館があると聞いてみたので行ってみると、
会議室みたいな部屋にいすが並んでいるだけ。
どうやら映画のときは後ろのプロジェクターから
映像を映すそうです・・・!

大きな都市からも、シャパといわれる乗り合いバスにのって
30分もすれば田舎の雰囲気にがらっとかわります。
迷路のように入り組んだ小さな小屋のような家にみんな住んでいて、
火は石炭を使い、庭にはニワトリを飼って、
お風呂は水かお湯を浴びるような生活。
この差は激しいものがあります。

差が激しいと、どうなるか??

「運」

によって決まることが増えたと思います。
おなじ協力隊の仲間でも、
ホームステイ先の家のレベルはさまざま。
プレステ3がある家もあれば、電気がつかない家もあり、
それぞれの自宅も、庭付きの一軒家もあれば、
ワンルームに小さな窓しかない家も・・。
隊員の境遇を合わせようとしても
なかなかあわせられないのだから、
現地の人の「運」に左右される度合いはもっと激しいでしょう。
生まれた家、場所、行った学校・・・、
僕らは2年間でも、現地の人にとっては一生が本当にそれで決まるのです。
そして、運で決まることが多い場所ほど、
自分の努力で何かを変えようとする意欲は出にくくなっていくと思います。

モザンビーク人に対して、
「働く意欲ややる気がない」って
よく聞きますが、その背景にはこの社会格差も関係しているのでしょう。

2010年7月3日土曜日

「貧しい」ということ

先週からホームステイと現地での語学訓練がはじまりました。
僕のホームステイ先はおばあちゃんと孫二人が住んでいる家で、
モザンビークの大きなとおりに面した3階にあります。
どこの家も中は結構綺麗で、
本当に日本のようなリビングやベッド、ソファ、テレビがありました。
ほかの同期隊員たちの中には、プレステ3がある家も!
だいたいの家で家政婦さんを雇っている生活で、
JICAの隊員が泊まっているからということもあるけれど、
みんなの感想は思ったよりも日本と近い生活をしているな、という感じです。
ただ、肝心のトイレに紙がなくて、もう覚悟を決めて、紙なしで用を足していま
す・・・
Opa!

日本との違いは、
・いろんな人が出入りしたり泊まること
(両親は別のところに住んだり、こっちにきたり、
妹が住んでたり、家族の形態がいろいろです)
そして、

・めっちゃ子供が働くこと!!

朝パンを買いに行くのも、
料理を準備するのも、
洗濯も、掃除も、
おばあちゃんがのど渇いたときも、
「お水とってきなさい!」
<こどもが召使のように使われている>
これはどこの家庭でもそのようです。

孫たちが兄弟げんかをしていたり、
おばあちゃんが「あんたたち学校あるんだから早く寝なさい」と言ったり、
「電気は消す!」ってどなるところあたりは
どの国でもいっしょなんだなぁと実感。

ただ、日常生活のなかでも貧しいことを感じることはあり、
昨日も「あんたはお金があるんだから水を買ってきなさい。
水道水は体に悪いの。でも私たちはしょうがないからこれを飲むけどね...」
といわれ、
たしかにその後、孫たちはコップに水道水を汲んで飲んでいました。
目の前でその水道水の水を飲んでいるのを見ると、
どうしたらいいのかわからなくなります・・。

何かをすることが、自分の健康とか将来に悪いとわかっていても、
それ以外の選択肢を取れなくて、妥協しないといけないこと。

自分の可能性を開くような選択肢をとれないこと。

それが貧しいっていうことなんかなぁと思わされました。

来週も語学訓練がつづき、
週末にはいよいよ任地まで飛行機で一度訪問します。
どんな孤児院なのか、早く見たい気持ちでいっぱいです。

2010年6月26日土曜日

岡田監督のアタマの中

土日は研修なども休みで、
新しくきた僕らはまだ一人で外を歩くのは危険なので、
近くの市場に仲間や先輩と行ったり、
近くの公園に行くのが精一杯です。
寮ではインターネットが平日は夜間から早朝、
土日は1日中使えるのでSkypeを使ってほかの国に旅立った仲間と
連絡をとったりしています。

インターネットでアフリカにいる岡田監督の講演を読んで
強く感銘を受けたので引用します。
ほかの部分もおススメです。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0912/14/news010_7.html
人に好かれようとしているだけでは何もできないということ、
それを覚悟のうえで、勝ちに挑む姿勢から学ぶところがたくさんありました。
現地の人、みんなに好かれたい気持ちはあるけれども、
何かをしようとしたら決断をしなくてはいけなくて、
嫌われることもあるかもしれない。
でもそのとき嫌われても、あとからその人たちまで納得するような結果や信念を
追い求めなければならない、
いまの岡田監督はまさにそれを実現したように思います。

引用部分は挑戦することの大事さと、
短期的に結果を判断しない大事さを説いています。

(以下、引用)

人間万事塞翁が馬

僕は色紙などに「座右の銘を書いてくれ」と頼まれたら、大体“人間万事塞翁が馬”という言葉を書くんです。ご存じでしょうが、中国の城塞におじいさんがいて馬を飼っていたと。馬は当時貴重なものだったのですが逃げてしまった。周りの人が「おじいさん、大変な災いでしたね」と言ったら、おじいさんが淡々と「いやいや何を言う。この災いがどういう福をもたらすか分からん」と言っていたら、逃げた馬が雌馬を連れて帰って財産が2倍になった。

 「おじいさん、良かったですね」と周りの人が言ったら、おじいさんが淡々と「いやいや、この福がどういう災いをもたらすか分からん」と答えたら、連れてきた馬に乗った息子が落馬して足を悪くした。「いやあ災難でしたね、おじいさん」と周りの人が言うと、またおじいさんは「いやいや、この災いがどういう福をもたらすか分からん」と。そして、戦争が始まって、村中の若者が駆り出されて全員戦死したのですが、その息子は足を悪くしていたので、戦争に行かずに生き残ったというように話が続きます。

 僕は「バーレーンに負けなかったら、どうなっていたんだろう」「ウルグアイに負けなかったら、どうなっていたんだろう」といろいろなことを今思います。そういうことが続いてくると、何か問題やピンチが起こった時に「これはひょっとしたら何かまたいいことが来るんじゃないか」と勝手に思うようになるんです。もうすぐ発表になりますが、今回もスケジュールで大変になることがまたあるんです。それは確かに大変かもしれない。でも、「ひょっとしたらこれでまた何か良いことが生まれるんじゃないか。強くなるんじゃないか」とだんだん考えるようになってくるんです。

 ずっと振り返ってみると常にそういう連続でした。「バーレーンに負けたおかげで今がある」と思います。そして、ふと自分の手元を見てみたら、僕がずっと探し求めていた秘密の鍵があったんです。これは秘密の鍵ですからお話しできませんけどね。秘密ですから(笑)。恐らく僕があの後、どれだけ机の上で勉強してもつかめなかっただろう秘密の鍵が、のた打ち回りながらでもトライしていたら、手の上に自然と乗っていたんです。

 僕はその時にふと「淵黙雷声(へんもくらいせい)」という言葉を思い出しました。僕は曹洞宗で座禅をするので総本山の永平寺に行った時、宮崎(奕保)※さんという禅師さんに謁見する部屋の掛け軸に書いてあった言葉です。弟子がお釈迦さんに「悟りとはどういうものなんですか?」と聞いたら、深く黙した(淵黙)。しかし、その淵黙が雷のような大きな声を発したように聞こえたと。お釈迦さんは「ここにいて悟りがどうのこうのと能書きを垂れているくらいなら、修行して一歩でも悟りに近づくように踏み出しなさい」ということを無言で伝えたんです。僕はその言葉を思い出しました。自分はああだこうだと頭で考えたり勉強したりしましたが、よく言われる「ともかくやってみろ」「ともかく始めてみろ」ということは本当なんだなという気がしました。
※宮崎奕保(みやざき・えきほ)……曹洞宗大本山永平寺第78世貫首。2008 年逝去。

 時間の関係で中途半端な話になりましたが、何が言いたかったかというと、若い人にこれからチャレンジをしてもらいたいということです。「いやあ、今はこんなことやったって……」といった能書きはいい。ともかく一歩踏み出して、どんなことでもいいから目標を作ってチャレンジをする。

 僕はいろんな決断をする時に、「明日死ぬとしたら今どうするだろう」と自分を追い込みます。人生というのは「おぎゃー」と生まれてから、必ず来る死というものに一歩一歩進んでいくだけなんです。僕なんかはもう半分以上進んでいるんですけどね。誰もが必ず死ぬんです。この講演の帰りにポロッと死ぬ人もいるかもしれない。その間をいかに生きるかなんですよ。何もなく、のほほんと生きていくのも人生です。「生きているだけですばらしいこと」とよく言います、その通りです。

 でも、できるならどんな小さなことでもいいから、チャレンジをしてもらいたい。頭でごちゃごちゃ考える前に踏み出してみる。少々壁や何かがあろうが、そんなもの関係ない。必ず乗り越えられる。壁というのは邪魔をするためにあるのではない。自分の気持ちを確認されているんです。「本気でこいつはやってんのかどうか」と。そういうつもりでチャレンジに一歩踏み出していただければ幸いです。

モザンビーク到着!

2010年6月23日、モザンビークに到着しました!
日本からは香港まで行ったあと、W杯開催中の南アフリカを経由して
モザンビークの首都マプトに着きます。
飛行機3便、合計して20時間弱の移動でした・・・。

南アフリカまでは日本のサポーターの方も何人かいて、
南アフリカの空港でもブブゼラを売っている店もあり、
ワールドカップの盛り上がりを実感!
ちなみに昨日の日本vsデンマーク戦は、
僕らが泊まっている寮のラウンジに
テレビをプロジェクターで写してみんなで観戦してました。

モザンビークに到着した最初の感想は涼しいこと!
アフリカの暑いイメージをしていたら、
現地は朝晩は10℃近くまで下がり、昼間でも25℃くらいまでしか上がらず、
涼しい風が吹くのでとても気持ちいいです。

今は首都に仲間20人と一緒に生活していますが、
周りは高級住宅街で、ベンツの車なんかがとまっている豪邸もあります。
綺麗な碧い海も歩いてすぐの距離にあって、「ここが最貧国なの???」
と思うような環境です。

そんな高級住宅街でも、外国人を狙った犯罪が相次いでいるため、
気軽に海岸を散歩することはできず、
必ず「日中」に「複数」で「周囲に警戒しながら」歩くよう、注意されています。
ゴミをあさっているストリートチルドレンの子がいたり、
若い失業者も街にいますが、
そういう、モザンビークの中でも貧しい人には
外国人は「お金を持っている」と思われていることもあり、
近づいて話すことはおろか、目を合わせることもまだできません。
せっかくモザンビークに来たんだから、
最貧困層の人たちの気持ちとか生活を知りたいのですが、
それにはまだまだ時間と現地の仲間、勇気が必要そうです。
(そう、「現場を知る」というのはなかなか難しいことなのです!)

相手の言うことが聞き取れないので会話をするのがおっくうになりそうですが、
そこは失敗を気にしない強気の精神で、よりたくさんの人と話そうと思います。

ブログを書くのにまったく慣れない・・・
なぜか文体がですます調になるし。笑
しばらくは試行錯誤で!
あと、愛しのカメラを東京から持ってくるのを忘れてしまったので、
こっちでカメラが手に入ったら写真もアップロードします...

2010年6月22日火曜日

行ってきます!

明日から2年間、みんなのそばを離れることになります。

青年海外協力隊として2年間、アフリカのモザンビークという国に行ってきます。
(一番左の写真が地図で、真ん中がモザンビークの海です!)
現地では、虐待を受けたり、家族によって育児されなかった孤児38名と生活します。
彼らは元気にたくましく生きているだろうけれど、
少しでも、もっと彼らの生活が楽しくなったり、明るくなったり、
自分に自信を持てるようなことができたらいいなと思っています。

4月からの2ヶ月間は、写真の先生と、
203人の協力隊の仲間と一緒に、福島県で合宿の研修をしていました。
いままでぜんぜん違う道を歩んできた皆だったけど、
楽しくて尊敬できる人が多くて、毎日が爆笑と学びの連続で...
つい最近会ったばかりなのに、もうすでに自分を支えてくれる存在です

合宿が終わって東京にいた一週間、
たくさんの人が出国前に集まってくれて、壮行会を開いてくれたり、
メッセージやメールを送ってくれました。
僕は人のイイトコロをパクるのが得意だと思っているんだけれど、
みんなのいいところをたくさん見て、
どんなに自分が周りの人から作られてるかを実感しました
感謝しつくしてもしきれません。本当にありがとう!!!
もらったものはすべてパッキングしました

自分で選んだ道なんだから、真っ直ぐ強く、笑顔で行きたいけれど、
そんなに強い人間でもありませんでした

どんなに2年間の生活が楽しみでも、
協力隊の仲間の健康と安全は不安になってしまうし、
まだまだ会いたかったのに会えなかった人はたくさんいて、
そんな皆の表情を思い浮かべるたびに寂しくなります。

「なんでそんなに人生を台無しにする選択をしたの??」
「日本人が行っても何もできないでしょ。」
と言ってくれることのありがたさは知りながらも、
自分の選択への不安におびえることもあります。

何より、自分の一番身近にいてくれて、自分を支え続けてくれた人に
一番寂しくて辛い思いをさせて、
何かあったときにもすぐに駆けつけられないことは
一番辛いことです...


そんな悲しさとか寂しさがあっても、
きっとモザンビークで笑顔で活動できるのは、
みんながそれぞれ心のなかにいて、
体の中にもう入ってて、
僕のエネルギーになってくれるからだと思います

心の中に支えがあるといろんなことに挑戦できることは
23年間を通じてみんなに学ばせてもらいました。
だから、一緒に生活する子供たちにとっても、そんな支えになって、
彼らの挑戦を後押しできるような先生でいたいなと思います。

向こうでインターネットがあれば、ブログも更新する予定です。
http://tomoji-in-mozambique.blogspot.com/


2年後に、みんなの前に進んでいく話を聞くのも楽しみだけれど、
とにかくまずは元気で笑っている皆に会いたいです。
See you Again!!