こんにちは。

青年海外協力隊として2年間モザンビークで活動中です!

2011年2月26日土曜日

ブログ移行&JICAサイトへの投稿

すっかり更新が滞ってしまいました・・・。
もはや何から書いていいかわからないけれど、
モザンビークの波に飲まれながら、
だんだん波の乗り方も見えてきたと思った
そのすぐ後に溺れるということを繰り返しながら、
元気にやってます。

更新していなかった間にも、
たくさんのコメントを頂いていました。
本当にありがとうございます。
そして、コメントが上手く投稿できないこともあったようなので、
はてなブログにブログを移行させることにしました。
http://d.hatena.ne.jp/africawithhope/
お手数ですが再度登録してもらえたら嬉しいです。

直接知り合いの友人からのコメントも、、
会ったことがない方のコメントも、
どちらも僕のエネルギーそのものです。
特に、今まで自分のことを知らなかった方が、
「記事を読んで、私も頑張ろうと思いました」
などと書いてくださるのを読んだときには、
いままでの人生では知らなかった喜びを感じました。
自分のどこか知らないところに、何かが届いたのかなぁと感じたのです。

世の中にはメディアを通じて、いろんな人がクローズアップされます。
タレントだったり、大学の先生だったり、スポーツの選手だったり。
どんな人たちも多くの人に影響を与え、尊敬されつつも、
敵視され、罵倒されることも避けられないこと。
それでも彼らが前に出て行くのはなぜなのか、
その答えを、たぶんちょびっとだろうけど、
ブログが教えてくれたような気がします。

そんなこともあり、いろんな情報をココから発信することも大事だと思って、
JICAの世界HOTアングルというサイトに一つの記事を投稿しました。

http://www2.jica.go.jp/hotangle/africa/mozambique/000861.html

自分がここで何をやっているのかが伝わったら嬉しいです。
引き続き移行先でもよろしくおねがいします!

2010年11月18日木曜日

ある生徒の、進級の風景。

今日はモザンビークの全国進級試験日。
対象は全小学校の5年生と7年生。
この試験に落ちると、留年というシビアな試験である。
(2005年の統計では10%近い生徒が落第している)

そんな試験の日に、めちゃくちゃ嬉しいことがあった。
孤児院の一人の女の子、マイリーンが進級試験を免除になったのだ。
進級生徒は原則、全生徒が対象なのだけれど、
普段の成績が良い児童は、この試験を免除されるのである。
彼女は、学年でも数人しかいない免除枠に選ばれたのだ。

いつもの登校と変わらない様子で試験に出掛けた彼女は、
飛ぶようにして帰って来た。
食事中の僕のところに入ってきて、、
見たこともない笑顔で伝えてくれた。
「私、試験免除だったよ!」

嬉しくて、こっちまでちょっと泣きそうになってしまった。
そんな僕をみて、彼女は笑っていた。
そのあと、お姉ちゃんにもすぐに伝えに行っていた。
見るからに人がいい、いつもニコニコしているお姉ちゃんでさえ、
今までに見たことのないような笑顔に変わった。

***
マイリーンはもともと愛想のいい子ではない。
「14歳の女の子」っていう年のせいもあるんだろう。
出会ってからしばらくは笑った表情を見たことがなかったぐらいだ。
大人に何か命令されたときは、淡々とこなす。抵抗もしない。
抵抗が、結局時間の無駄だと割り切っているようだった。
孤児院を訪れた僕の友人が、唯一「あの子は態度が良くないね。」
と言っていたのは、紛れもなく彼女のことである。




彼女と話すようになったのは、
彼女が学校の宿題を持ってくるようになってからだ。
自分から話しかけてくることがない子だったので、
宿題をきっかけにして少しでもコミュニケーションがとれることはラッキーだった。
どんなに褒めても、表情を緩ませることはなかったけれど。
この子とは時間がかかるだろうなーと直感的に思ってから、
ゆっくり様子を見ることにしていた。

***

そんな彼女がいろんなことを素直に話してくれるようになったのは、ここ最近のこと。
彼女が初めて心を開いてくれたと思ってくれた日のことは今でもよく覚えている。

学校から宿題が返却されたときに、その答案を僕のところに持ってきて、
「ちょっと聞いてよ、本当は満点なのに、お前がこんなにできるはずがないって言われて、50点にされたんだけど!!」と怒りながら僕のところに来た。
プラスの感情ではなかったけど、
それでも彼女の「気持ち」を聞いたのは初めてだった。

「それは悔しかったなぁーー。」
「ね、ひどいでしょ!」なんて話しながら、
彼女と同じ気持ちになれたことがとても嬉しかった。

***

今回の試験免除は彼女に、
大きな喜びと自信を与えただろう。

自信は武器だ。
特に周りから尊重されず、蔑まれるときには、
自分で自分を信じてあげることが、前に踏み出す力になる。

今日得た自信を武器に、周りからの汚い攻撃を振り払って、
自分の道を進んで欲しい。

2010年11月7日日曜日

自分との勝負。

最近、自分の気持ちの中に変化が出てきた。
まわりに向いていた意識が、今週は自分に向くようになった。

**

孤児院やモザンビークを取り巻く問題は尽きない。
今週1週間だけでも、2人の子どもが学校に行かずに遊んでいた罰として手を縛り付けられて倉庫に閉じ込められ、1週間のうち2日は朝食がなく、夕食はおかずがなく、一人の子どもは脱走を図り、3名が病気にかかり、飲食に使う井戸水にはおたまじゃくしが生まれたので毎回鍋ですくい取っては除去の作業が続き、金曜日には僕を除くすべての職員が欠勤。学校に遅刻した生徒は先生に60円を払わなければ成績をゼロにすると脅されて返ってきた。

僕がここの孤児院の校長先生だったら、モザンビーク人だったら、もっと経験があったら、立場があったら、何かを変えることはもっと易しかっただろう。
しかし施設としても、海外から来た、24歳の、言葉もたどたどしく、いつまでいるか分からない「ボランティア」に、組織の大事な部分を任せることはできない。基本的にボランティアは、「あったほうがいいけれども、なくても支障なく組織は回っていく」という立場に配属される。特に青年海外協力隊の場合は、ボランティアを要請しても適任者が見つかるかわからないし、要請から赴任までに平均して1年近い時間がかかるという。良くも悪くも、(少なくとも初めは)端っこに置かれる。


だから、たくさんの問題に直面しながら、何もできないことに無力感やじれったさを常に感じる。
より「中心」にいる同僚をどうしたら変えられるだろうと考えたこともたくさんあった。
そのことに悩んだり、無力感を感じることはきっと2年間続くと思う。

でも、そんなことに悩む前に、自分自身の課題もたくさんあることも忘れちゃいけない・・・。

***
ここでの自分のJICAの要請内容は子どもたちに基礎的な学習能力を身につけさせ、さらに孤児院での生活が楽しくなるようなアクティビティを提供すること。
病気や進路、生命に関わる、孤児院で起こるほかの問題に比べて、その重要性が低くても関係ない。自分の役割がそこにあることに変わりはないのだ。

この3ヶ月、学習状況や孤児院の生活環境に変化はあったと思う。
だけど、理想とは程遠い。
一緒に勉強すると言ってもすぐに集中力が切れて部屋を出て行く子がいるわ、まったく教えたことが定着しないわ、ノートを盗もうとするわ、他の子のノートを破るわ、みんなで遊ぼうとしても仲間はずれが出るわ、とてもじゃないけど、最低限の環境さえ作れていない。
毎日、新しい方法や仕組みを考えていく。それらは大体空振りする。
模造紙を買って、教材を準備していったときには、僕の見ていない間に子どもがそれを破り、おもちゃにして使われていた。
たまに上手くいったと感じる2秒ぐらいの「瞬間」があるだけで、あとはこれも失敗、あれも駄目だった、あそこはこうするべきだった、そんなことを思い返しては一日が終わる。

でも、そうした挑戦を続けられることはとっても恵まれているんだと思う。
そんななかで、もっと挑戦して、失敗して、それでも挑戦しなきゃと思い立たせてくれる二人の言葉。

***

一人目は24歳にしてアメリカやヨーロッパで活躍するジャズピアニスト、上原ひろみさんの言葉。

「たとえばうまく弾けない日が3ヶ月とか続いても、
原因が自分にある時点で、それは苦労でも挫折でもないですね。
戦地の子供とかは自分に原因があるわけでもないでしょ?
それなのに自分は曲がうまく弾けないからスランプだとか・・・。

そういうのは...
とにかくできるまでやれってことでしょ。笑」

もう一つは、ノーベル化学賞を受賞した下村脩さんの言葉。

「やりたいことをやって行き詰ったらどうするか」と、聞かれたこともある。

この質問の真意が私にはわからない。
すぐにあきらめたり、ほかのことに移ってしまったりするのは、
それはそのことがほんとうにやりたかったことにはならなかったのではないだろうか。

研究者として、私は実験がうまいとも言われる。
「神の手を持つ」などと神格化するようなことを言われたこともある。
ところが実際のところは不器用で、実験は上手ではない。

よく失敗する。
ただ、簡単にはあきらめない。
うまくいかなかったら考え直して、別のやり方を試みている。
だめだったらもう一度、それを何度も繰り返す。それだけだ。
あらかじめ、予定されている成功などはないのだ。

日本の若者にいいたい。

がんばれ、がんばれ。

物事を簡単にあきらめては駄目だ。」


子どものせいにしたり、協力してくれない同僚のせいにした時点で全てが止まる。
他人の領域に関心は持ちつつも、行動するのは自分の領域から。
毎日新しいことに挑戦できて、すぐにそのフィードバックが帰ってくる、失敗されても誰もクビにならない、そんな環境に心から感謝して、
何かと子どもやアフリカのせいにしがちな自分に喝をいれとこう!

2010年10月25日月曜日

子どもの強さに学ぶ。


Ginencioは2年生の男の子。両親を去年亡くし、親戚も引き取れる環境になかったので、車で3時間かけてこの孤児院まで送られてきた。
彼は孤児院のなかでも特にまじめな子で、学校に行くし、物は盗まず、ケンカは売らず(買うけど)、先生の言うことは聞くし、とにかく勉強が大好きで、僕が帰る時間になると「もっと勉強したいから帰っちゃだめ、先生!!」と言ってくれる子である。

ある日、孤児院に出勤した日のこと。
いつも学校に行っている彼が、学校の時間になっても孤児院にいる。
おかしいなと思って声をかけてみると、先生に「1年生のときの成績表を持ってきてない生徒は家に帰れ!」と怒鳴られて帰ってきたのだという。
そう、2年生で転校してきた彼は1年生の成績表を持ってないのである。
それはいかんと思い、一緒に孤児院の同僚である教育係の先生のところに話に行ってみることにした。(ちなみにこの先生はめちゃめちゃ怖いうえ、職務中に近所の居酒屋でよく休んでいる先生である。)

僕「Ginencioが 成績表を学校に持っていかなくちゃいけないと先生に言われたらしいんですけど。」
同僚「なに?成績表??そんなもの何のためにいるのよ?」
Ginencio少年「2年生の終わりにテストをするから、成績表が必要なんだって先生が言いました。」
同僚「そんなのおかしいわよ!テストがあるのは5年生と7年生だけ。あなたは関係ない。トモ、この子はまだ小さいから何もわかってないのよ。放っておきなさい。そもそも、この孤児院に入ってきたときに成績表なんて持ってきたの??持ってきてなんかないわよ。どこにそんなものあるというのよ?」
Ginencio少年「・・・。」
同僚「はい、もういいわね、外で遊びなさい。」
僕「・・・。」

ちょっと先生の態度はひどいように思えるかもしれないが、先生にも先生の理由がある。この孤児院の子どもたちはあまり学校に行きたがらない子が多い。やっぱり孤児院の子だということでいやな目に会うことも多いみたいなのだ。だから、子どもたちもいろんな言い訳をして、うそをついて、学校にいかない理由をつくる。子どもたちが学校を休むために何度も嘘をつくことに疲れている先生側からしたら、いちいちまじめに取り合っていたらキリがないのだと思う。
結局、その日は何もしてあげられなくて、残念ながら彼の勘違いだってことを祈るしかなかった。

***
翌日。
やっぱりGinencioは学校に行っていない。
さすがにおかしいと思って、でも孤児院では何もできそうにないので、学校までついていき、担任の先生と直接話すことにした。

授業時間のはずだったけど、先生は偉そうに椅子に座り、同僚と談笑していた。
ポルトガル語の不安はありながらも、成績表が本当に必要なのかを先生に聞いてみると、Ginencioが昨日話していたこととまったく同じ答えが返ってきた。
2年生もテストをやりたいから、やっぱり成績表が必要だと。
孤児院に入ってきたときに成績表までは持って来ていないので、どうにかならないかと担任の先生にお願いしたけれど、先生は「そんなこと知らないわよ。昔いた学校まで取りに行けばいいじゃない?あなたお金持ちだから車ぐらいあるでしょ?え、持ってないの??」と言ってきた。その横柄な態度にぶち切れる寸前だったけど、その先生の隣に座っていた男の先生が「こちらでなんとかします」と言ってくれたので形だけ感謝して、Ginencioと一緒に、そそくさとその場を去った。

***
帰り道、僕たちは無言で孤児院まで戻った。
彼が小さな歩幅で歩いて戻る様子を後ろから見ていると、あまりの現実の厳しさに心が痛み、涙が出そうになった。

小さい頃から、なんてつらい環境で生きていて、
それでもなんでこんなに強いんだろう・・・。


1年生のときに両親をなくした。

親戚に引き取りを拒否され、知らない町の知らない孤児院に入った。

学校の仲間も知らない子どもばかり、制服は与えられなかったか盗まれて、靴もなく、それでも勉強が好きで毎日学校に行っていた。

先生に言われたことを孤児院で頼んでも、誰もまじめに向き合ってくれない。
自分のせいじゃないのに、帰れと学校の先生に怒鳴られて、成績表を取りに行けなんて、無理なことがわかっているのに言われる。

それでも彼はきっと明日学校に行くのだろう。

また勉強がしたいって、僕に声をかけてくるんだろう。
僕が不機嫌な受け答えをしたり、勉強をするっていう約束を守れなかったときも、責めたり怒ったりしたことはない。
いつも、ノートに大きな丸をもらえることを楽しみに、問題を出してもらうのを待っている。



一緒に無言で帰るとき、なぜか自分の小学校時代を思い出した。

恥ずかしかった。

ちょっと友達に嫌なことをされただけで家族にあたったり、何かをさぼったり、何かのせいにしていた自分が恥ずかしかった。
嫌なことがあったときはそれをいつも言い訳にして、結局自分のために使っていた気がする。
いまでも、嫌なことがあるとすぐにほかの事にぶつけたり、逃げたりしてしまう。
彼には、嫌なことがあっても前に誠実に進んでいく力があるように見えた。
その強さを感じたときに、なぜかわからないけれど、すごく悲しくなって、涙が出てきた。

* **

帰ってから、同僚に何があったかを話した。彼は嘘をついていないことを伝えた。同僚は聞こえたような、聞こえなかったような態度だった。
同僚や先生の性格が悪い、なんてことで収まるような問題じゃない。それぞれに、それぞれの理由がある。
現状は、本当に、複雑に絡まりあっている。
せめて、子どもへの信頼を作りたいと思うけど、たった一つ、彼が嘘をついていなかったことを証明したところで、きっと何も変わらないだろう。

だれど、そうやって一つずつ糸をほどいていくことしか、今の自分にはできない。

いつになったらほどけるか、全く先が見えなくても・・・。

2010年10月21日木曜日

東大総長へのメッセージ

40度近い猛暑の中、厳しい現実に直面しつつも、何をすればいいのか、なかなか糸口が見つからず、辛抱の日が続いていたのですが、日本でお世話になっていた大学の先生から、とっても嬉しい連絡を頂きました。
先日、東大で行われた東大の濱田総長と、JICAの緒方理事長との対談にて、僕から送ったメッセージを取り上げてくださったそうです。
対談は大学とJICAの連携を記念したもので、タイトルは「~学生よ、世界に目を向け、世界に飛び出せ!~」。自分の卒業した大学と、いま所属している組織の対談であったので、お世話になっている先生から、「メッセージを送ってみたら」と言っていただいたことがきっかけです。
どこの大学もそうだとおもいますが、東京大学も国際化に力を入れており、国際化・多様化する世界でも活躍できる「タフ」な人材育成が、現在の総長が掲げるモットーです。
メッセージでは、大学在学中に培われたタフさがいかにアフリカでも大切かということを伝えたのですが、それは大げさでもお世辞でもなんでもなく、心底日々感じることです。
どんなに経験、技術、熱意があったとしても、それが相手に生かされるようになるには、絶望したくなるほどの相手との「距離」があり、それを乗り越えるコミュニケーションがどうしても必要だと思います。その能力がまだまだ自分には足りていないことは痛感しつつも、大学時代に昼夜を問わずに議論しまくっていた経験が大きな糧になったことは間違いありません。そうしたことが伝わればなと思っていました。
そして、こうして自分のような「奇異」な進路が、経験の蓄積や言論を通して「普通」になっていき、日本がさらに多様性に寛容な社会になっていくように、将来への希望もこめて。

(以下、総長に送ったメッセージです。)
***

結論から申し上げます。アフリカのモザンビークという国に来てから2ヶ月が経ちましたが、多くの場面で大学在学中に学んだ「タフ」さの重要性を痛感しています。

私は入学当初から国際協力に興味があり、教養学部で国際関係論などを学んだ後、経済学部に進学してからは開発経済を専攻するゼミで2年間勉強しました。
ゼミでは学生が主体となってフィールド調査のため途上国に訪れ、調査内容を中国や韓国の大学生向けに発表するなど、大変活発なゼミでした。
開発分野の研究や政策の重要性は感じつつも、先進国での研究では途上国の人が望む「開発」を考慮する難しさを感じ、
まずは現場で現地の人と「開発」について考え、直接対話しながら活動できる青年海外協力隊としてアフリカに赴任しました。
モザンビークでは公立の孤児院の教育担当者として、孤児に対する基礎教育の直接指導や孤児の生活改善のプログラムの立案を行っています。

濱田総長は平成21年度の入学式の式辞の中で、タフさについて以下のように述べておられました。
「ある知識を自分で納得するだけでなく、人に伝えること、人を納得させることには、一つの力が必要です。そして、コミュニケーションの相手というのは、自分と同じ価値観や人生観の人ではないことが、むしろ普通です。相手との差異を超えて、知識を伝え、受け取ることができる力、また、互いに論じ合うことができる力、それが「タフ」であるということです。」(一部表現短縮)

途上国の現場で活動をしていると、国際協力の舞台で活躍する人材というのは、まさにこの「タフさ」を身につけた人材なのではないかと感じます。
たとえば、私がモザンビークのストリートチルドレン(学校に行かず、道で洗車等をして生活している子ども)に対して教育の重要性を伝えようとするときのことです。
単に、「勉強をして学校を出れば、将来就く仕事の幅も広がるし、世界も広がるよ」という「知識」を伝えたところで彼らの行動は変わりません。
それは、彼らには彼らの理由もあるからです。
たとえば、「学校に行っても先生は来ない」「自分は親に宿題を教えてもらえないから、学校で馬鹿にされる。」「洗車の仕事は、やったら必ず報酬がある。」など。
そのため、彼らの持つ理由を聞いて整理し、そこで自分の考えていた「知識」の妥当性を再検討したうえで、彼らの目線に立ってもう一度自分のメッセージを伝える、そこまでしなければ知識が力を持つことはありません。
(相手が本当の理由を話してくれるためには「徳」にあたる人格性まで求められること、
また言語能力は全ての基盤であることは言うまでもありません。)
先の例で言えば、学校を卒業することの重要性よりも、たとえば文字の読み書きや簡単な計算ができることによって、彼らの日常生活がより公正で、豊かになることを伝える方が効果的でしょう。
途上国と一概に言っても、地域や村、そして個人によって価値観や知識のレベルは全く違うため、自分の知識とコミュニケーション力を「総動員」し、常に相手に伝わることを意識し続けなければ、その人や地域が変わることもないのです。
まさに「タフなコミュニケーション」が求められていることを、日々実感しています。

そうしたタフさを身につけるには、大学時代のトレーニングは貴重なものでした。
・同じ知識を学ぶときにも、一人で学ぶのではなく、留学生や友人とともに議論しながら学ぶこと
・自分の考えを発表し、それを先生や仲間から批判してもらうこと、その批判に自分が答えること
・全く違う専攻の友人から違う視点で意見をもらい、こちらの意見も相手にわかるように伝えること
こうした経験の全てが今の自分の役に立っていると思います。

以上の経験から、今回の対談や今後のイベントを通じて「タフさ」の重要性がより多くの学生に認識され、
国際化やバリアフリーを通じて、ますます多様な環境が整備されることは、
卒業生が海外で活躍することにも直結すると強く信じています。
卒業生としてそのような環境で勉強が出来たことに心から感謝するとともに、
今後の益々の発展をお祈り申し上げます。

2010年10月7日木曜日

葛藤から希望へ

 毎日の活動に、いつも大きな葛藤が付きまとっていた。


「モザンビークでは子どもには命令し、管理するのが当たり前だ」けれど、
「自分は子どもに近い距離で接したいし、子どももそれを望んでいる」のだ。

モザンビークでは、基本的に子どもは「労働力」である。家で作ったパンケーキみたいなのを路上で売ったり、畑仕事をしたり、料理や洗濯なんかは子どもの仕 事である。子どもは空いている時間に勝手に遊べばいいけれど、仕事の時間には仕事をしなければいけない。
この2ヶ月、僕の同僚が自発的に子どもと遊んでいるところは一度たりとも見たことがない。しかし彼女は自分の服をわざわざ孤児院に持ってきては、子どもに 洗濯させている(!)。
さらに、この孤児院では、子どもに対するイメージが最悪だ。
「あぁ、あの子はゴミよ。家から追い出されてきたんだから。」
とかは平気で言っている。子どものいうことなんて聞く必要はない。一緒に遊ぶ必要もない。子どものために働くなんてとんでもない、子どもが自分たちのため に働くのだ。

賛同はできないけど、否定するものでもない。
日本でテレビゲーム漬けになり、ろくに家事も手伝わない子を思い出すと、悩みは不覚なる。
自分がボランティアしていた小学校では子どもが定年退職したボランティアに白髪ジジイと叫んでいたけれど、こっちではそんなこと、あ り え な い。
それほど、大人は怖い。
そういう意味で、こっちのほうがよく「管理」されていることは間違いない。



だけど、自分は子供への管理を強化するためにわざわざ来たわけじゃない。
子どもが何かを達成して喜ぶ瞬間を一緒に味わうのが好きで来たんだし、
いろんな事情があって孤児院に住んでいる子どもたちのことだから、なるべく話を聞いてあげられる存在でいたい。
だからなるべく距離を近くして、自由にのびのび遊ばせてやりたいと思う。

でも、そういう「優しい」大人は、同僚からは「無能」な人と思われかねない。
子どもをコントロールできていないのだから。
日本ではこうだよとか説明しても、ふーん、である。
 
だから、すごい葛藤がある。
(子どもに厳しくありながら、彼らの意見も聞くような、理想的な先生になればいいのかもしれないけど、
やっぱり「子どもの意見を聞く」という価値観で、日本とモザンビークのぶつかりが出る。)

***子どもの表情から見る、大人への態度の変化***


(働き始めた日の女の子。大人の僕を怖がっていた。)


(最近、甘えが止まらなくなった彼女。笑)

****

だいたいのときはモザンビーク流に厳しく、だけど同僚が来ていない日には一緒に遊ぶなどして、すごくどっちつかずの感じで活動をしている。
こんな感じでいいのかな、同期の隊員によってはもっと自分の主張とかやり方をはっきり言ったり出してやっている人もいるみたいで、
自分には信念がないなとか悩むときもある。


そんなときだった。
いつもパワーを与えてくれるdaisukeのブログに、彼がインタビューを通じて聞いた、NorthWestCenterのCEO,Tomさんの言葉が 載っていた。
(詳しくはをhttp://www.daisuke344.com/archives/201010/pick-past-and-go-my-way /ご覧ください。このブログ、特に同年代のみんなにめっちゃオススメです。)
以下に引用させてもらいます。



まずね  自分の中の葛藤や矛盾は決してそれ自体、悪いものじゃないんだ
 
円を想像してごらん?
 
まず僕らは ある一つの点から生まれるんだ
 
ただし、そこから自分の中で矛盾や葛藤が起きて 二つに分かれてしまうとする
 
たとえば、いまのきみみたいに、 <認められたい自分> と <ひとの目なんて気にせず自分のやりたいことに積み重ねたい自分> だ
 
ただそれらの分かれてしまった二つのモノは 
まさに円をなぞるようにして上へ登っていって
最後には円を結ぶように 一つになる 一つの点にもどっていく
 
これと同じなんだ
ぼくも <お金を儲けたい自分> と <社会正義に貢献したい自分> この二つの葛藤と矛盾があった
 
でも最後にはこうやって二つは結びついたんだ
そしてどんなことでも必ず 結びつく 必ず一つにすることができるんだ
 
なぜならそれらの感情は 産まれた元は 一つの点からなのだから
 
だからどんな葛藤や自己矛盾がその瞬間にあっても
それは必ず結びつく、円を描いていくことができる
そしてその円を創っていくことこそが 人間としての成長なんだ
だからまずなによりも 矛盾や葛藤自体を 決して否定してはいけないんだよ」
 
 
(この「円」の考え方、じつは同期のヤナとニッシーは大学生のときから、自分の口で語っていたことも思い出した!)


daisukeはおぉーっとおもわずうなってしまったらしいけど、まさしく同感。

特に根拠があるわけじゃないんだろうけど、とても素敵な考え方だと思うし、心のなかの焦りを取り除いて、ゆとりを与えてくれる。
この言葉には救われました。

(こういうことを、「人間力」と言うのですな)



この葛藤もいつか一つになることを信じて、今日も悩みながらやっていけばいいのかな。

2010年9月28日火曜日

24歳はアフリカで。

今日(9/27)は自分の誕生日、まさか24年前にアフリカで迎えることになろうとは誰も思っていなかったでしょう。はるばる日本やインドネシア、中国、マレーシアなどからメッセージ、ありがとうございました。

こちら、モザンビークでは、孤児院の子どもたちにケーキを買っていきました。(そう、モザンビークでは誕生日を迎えた人がパーティーを主催、準備するのです。)
40人分のケーキはさすがな値段なので、どう準備しようか迷いましたが、
親戚や家族と暮らしていない孤児院の子どもたちは誕生日会に呼ばれることもなく、ケーキもめったに食べられないので、ここは奮発して全員分足りるような大きなケーキを近所のおばちゃんに頼んで作ってもらいました。(日本円で3000円、15000円ぐらいの実感です。高っ!)
これがそのケーキの写真!中身はチョコレートとオレンジの2段作りです。

風船も買ってきて飾りつけ、準備完了。ケーキを見た子どもたちはたちまち大興奮!

こっちでは誕生日を迎えた人がケーキ入刀、



まずは自分が食べて、


小さな女の子がめっちゃ食べたそうです。笑
そのあとはみんなに配分。



ゆっくり、噛み締めるように食べていました。
子どもたちもこっそりカードを用意してくれていて!!貴重なノートのページを破ったり、わざわざ友達に色鉛筆を借りたり、どこで見つけてきたのか、封筒の中に5円を入れてくれる子までいて、これぞ教育者の幸せです。


一つ複雑なことを言うと、僕はお金持ちなのでこうしたケーキを用意できますが、2週間後に誕生日を迎える同僚にはそのお金はありません。だから彼女のときはケーキなしで歌とカードだけになってしまいます。(僕も、全員の職員分準備するお金はありません。)そういう時、モザンビーク人がどういう気持ちになるのかはまだわかりませんが、もしかしたらなんとなく不公平だったり嫉妬を感じさせてしまったかもしれません・・・。
もう一つ、孤児院の子どもたちの誕生日も祝いたいのだけれど、彼らは自分の誕生日を知らないことが多く、それもできないのです。

少なくとも、今日のちょっとのケーキが、少しでもみんなの思い出に残りますように!



P.S.すばらしいセンスを感じる、子どもが描いてくれた僕の似顔絵。笑