日本語が読みづらいらしいです、すみません。
(ブログを誰に書いたらいいかわからないんだって。笑)
モザンビークにいる日本人は約100人、任地の都市には2名しかいませんが、
インターネットでこうしてすぐ日本の友人から
励ましの言葉をもらえることはめっちゃありがたいです!
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お金が盗まれていることが発覚した次の日、
子供たちとお母さんに、そのことを伝えました。
"Alguém roubou o meu dinheiro, quando eu tomo banho."
(誰かが、僕が風呂に入っている間に、僕のお金を盗んだんだ。)
子供たちは一瞬驚いた表情をしていたけれど、
「Verdade? Vou falar com vovo」
(ほんとに!?おばあちゃんに話してみる)
と言ったっきり、ほかの事に話題を逸らします。
おばあちゃんにもその後個別に伝えると、
これが大変で...
"Você acha que tem a ladrão na minha casa!?!?!!!"
(あなたは、うちのなかに泥棒がいるって思ってるの?!!)
あなたのためにどれだけ安全に気をつかってきたか、
私がどれだけ人のお金を大切にするか知ってるか?、
なんであなたは私たちを信用しない??、
そうよ、あなたの友達が盗んだんじゃないの??
私はショックだわ・・・
とすごい勢いで反論されます...
というか、逆に怒られてます、もはや。
直感的におばあちゃんは何も知らないなとわかりましたが、こっちも、
「あなたがやったなんて言ってないでしょ。
それでも絶対に家のひとがやったとしか考えられない、
ちゃんとお金は数えたし、僕だってとても悲しい」
と、つたないポルトガル語で伝えました。
もともと人との間に揉め事を起こすことを激しく嫌う性格なので、
こんなに人と言い合ったのも小学生以来です。
散々言い合った後はお互い黙り込み、
僕も部屋に戻りましたが、
10分後におばあちゃんがやってきて、
「いくら盗まれたの?私が払うから。
あの子達が帰ったら、子供と話すわ」
とさびしそうな顔で伝えに来てくれました。
きっと、中学生の孫がやった、子供の好奇心だったんでしょう。。
彼は自分がやったという告白とか、あやまることはしてくれないのでわからない
のですが...
あの日以来、僕が自分の部屋から出ているときに、
おばあちゃんの目から離れたところにいることができなくなり、
おばあちゃんも申し訳ないのか、疑った僕に怒っているのか、
ほとんど会話をしなくなって、
家からは笑い声が一切消えて、
数日は一人で沈黙のなか、ご飯を食べてました。
***
「盗まれた額が少ない額だからといって、気にしない素振りをしていたら、
日本人も自分も馬鹿にされる。
たしかに家族はやさしかったし、楽しかったけど、
彼らが笑ってたのは僕からお金をとってたからかもしれない。」
と思うと、今までの感謝も消えて、しばらくはこっちも怒った様子でいようと
思ってました。
そのときに、一人の日本人の友達から、
「その気持ちはわかるけど、今までの感謝はちゃんと伝えたほうがいいと思うよ。
お世話になってたのは事実なんでしょ?」
って言われて、
それからなんか急にさびしくなったホームステイも、
このまま終わるのがいやになって、
なんとかしたいなぁ~と思い、
ずっと怒りっぱなしでいる必要もないなと思って、
彼らにちょっとでもすれ違ったときは前みたいに、笑顔で挨拶するように変えま
した。
食事のあとには「ありがとう」と、おばあちゃんの部屋の外からだけど声をかけ
るようにして、
なんとか関係の修復をはかっていました。
3日経った今日、久しぶりに自分の部屋に子供が遊びに来てくれたり、
おばあちゃんも大きな声で朝起こしに来てくれて、
久々のこの感覚に、ほっとしました。
こっそり準備していたお礼のカード、
一度はこんなもん絶対渡すかと思ってましたが、
やっぱり感謝は伝えようと思えるようになって。
***
この前会ったモザンビークでの先輩が話してたこと。
「俺はなんかあったら、おもいっきり人と向き合って、
首根っこのつかみあいになるくらいまで、本気でやりあう。
アフリカ人だからといって怒るのをあきらめるのは失礼だと思う。」
本気で向き合うことは面倒くさくて、
勇気がいて、リスクもある行為だと思いますが、
■人と本気で向かい合うこと
■人の失敗、自分の失敗を許しあえるような人間関係を築くこと
は、こっちでアフリカを感じるためにも自分に課す目標です。