僕のホームステイ先はおばあちゃんと孫二人が住んでいる家で、
モザンビークの大きなとおりに面した3階にあります。
どこの家も中は結構綺麗で、
本当に日本のようなリビングやベッド、ソファ、テレビがありました。
ほかの同期隊員たちの中には、プレステ3がある家も!
だいたいの家で家政婦さんを雇っている生活で、
JICAの隊員が泊まっているからということもあるけれど、
みんなの感想は思ったよりも日本と近い生活をしているな、という感じです。
ただ、肝心のトイレに紙がなくて、もう覚悟を決めて、紙なしで用を足していま
す・・・
Opa!
日本との違いは、
・いろんな人が出入りしたり泊まること
(両親は別のところに住んだり、こっちにきたり、
妹が住んでたり、家族の形態がいろいろです)
そして、
・めっちゃ子供が働くこと!!
朝パンを買いに行くのも、
料理を準備するのも、
洗濯も、掃除も、
おばあちゃんがのど渇いたときも、
「お水とってきなさい!」
<こどもが召使のように使われている>
これはどこの家庭でもそのようです。
孫たちが兄弟げんかをしていたり、
おばあちゃんが「あんたたち学校あるんだから早く寝なさい」と言ったり、
「電気は消す!」ってどなるところあたりは
どの国でもいっしょなんだなぁと実感。
ただ、日常生活のなかでも貧しいことを感じることはあり、
昨日も「あんたはお金があるんだから水を買ってきなさい。
水道水は体に悪いの。でも私たちはしょうがないからこれを飲むけどね...」
といわれ、
たしかにその後、孫たちはコップに水道水を汲んで飲んでいました。
目の前でその水道水の水を飲んでいるのを見ると、
どうしたらいいのかわからなくなります・・。
何かをすることが、自分の健康とか将来に悪いとわかっていても、
それ以外の選択肢を取れなくて、妥協しないといけないこと。
自分の可能性を開くような選択肢をとれないこと。
それが貧しいっていうことなんかなぁと思わされました。
来週も語学訓練がつづき、
週末にはいよいよ任地まで飛行機で一度訪問します。
どんな孤児院なのか、早く見たい気持ちでいっぱいです。
久しぶり!
返信削除いつかまた話しましょう。応援してます。
先日、カンボジアから子供をつれてくるイベントがあった。「カンボジアの天使の笑顔を見に来ませんか?」というキャッチコピー。
返信削除すごく 悪趣味だと思ったのは、私がカタいのかなぁ。。
子供は数日間、日本に来る。違う世界を見る。そして、きっとゴミ山やStreetからは簡単に抜け出せない日常生活に帰っていく。
それって彼らにとって幸せなんだろうか。
少し違うけど、恋愛を例に取る。
はじめから恋人がいない独り身は孤独に慣れっこだけど、恋人と急に遠距離恋愛になったり、別れてしまったら、一人であることが際だつ。
どっちが幸せ?
買った水をその場で分け与えることは出来るけれど、それは永続的に続くわけじゃない。彼らは水道水になれているけど、Tomが飲むと体調を壊すだろう。彼らに合わせることもできないから、自分だけ安全な子としているけれど、そうするしかない。
むずかしいね。
「物乞う仏陀」っていうルポが文春文庫から出ているんだけど、物乞いたちは与えられた環境でたくましく、日々を愉しんで生きている。
そういう生活があるってことを忘れずに、将来、国際機関で実利的な貢献をできたらいいんじゃないのかなぁ。今は何が大切なのかいっぱいみて、いっぱい感じて、いっぱい逡巡する時期なんじゃないのかなぁ。
Manila waterrってやり方だったり、Charity waterってやり方だったり。自分の肌に合う方法が見つかるといいね。
and I believe you will make it.