こんにちは。

青年海外協力隊として2年間モザンビークで活動中です!

2010年11月18日木曜日

ある生徒の、進級の風景。

今日はモザンビークの全国進級試験日。
対象は全小学校の5年生と7年生。
この試験に落ちると、留年というシビアな試験である。
(2005年の統計では10%近い生徒が落第している)

そんな試験の日に、めちゃくちゃ嬉しいことがあった。
孤児院の一人の女の子、マイリーンが進級試験を免除になったのだ。
進級生徒は原則、全生徒が対象なのだけれど、
普段の成績が良い児童は、この試験を免除されるのである。
彼女は、学年でも数人しかいない免除枠に選ばれたのだ。

いつもの登校と変わらない様子で試験に出掛けた彼女は、
飛ぶようにして帰って来た。
食事中の僕のところに入ってきて、、
見たこともない笑顔で伝えてくれた。
「私、試験免除だったよ!」

嬉しくて、こっちまでちょっと泣きそうになってしまった。
そんな僕をみて、彼女は笑っていた。
そのあと、お姉ちゃんにもすぐに伝えに行っていた。
見るからに人がいい、いつもニコニコしているお姉ちゃんでさえ、
今までに見たことのないような笑顔に変わった。

***
マイリーンはもともと愛想のいい子ではない。
「14歳の女の子」っていう年のせいもあるんだろう。
出会ってからしばらくは笑った表情を見たことがなかったぐらいだ。
大人に何か命令されたときは、淡々とこなす。抵抗もしない。
抵抗が、結局時間の無駄だと割り切っているようだった。
孤児院を訪れた僕の友人が、唯一「あの子は態度が良くないね。」
と言っていたのは、紛れもなく彼女のことである。




彼女と話すようになったのは、
彼女が学校の宿題を持ってくるようになってからだ。
自分から話しかけてくることがない子だったので、
宿題をきっかけにして少しでもコミュニケーションがとれることはラッキーだった。
どんなに褒めても、表情を緩ませることはなかったけれど。
この子とは時間がかかるだろうなーと直感的に思ってから、
ゆっくり様子を見ることにしていた。

***

そんな彼女がいろんなことを素直に話してくれるようになったのは、ここ最近のこと。
彼女が初めて心を開いてくれたと思ってくれた日のことは今でもよく覚えている。

学校から宿題が返却されたときに、その答案を僕のところに持ってきて、
「ちょっと聞いてよ、本当は満点なのに、お前がこんなにできるはずがないって言われて、50点にされたんだけど!!」と怒りながら僕のところに来た。
プラスの感情ではなかったけど、
それでも彼女の「気持ち」を聞いたのは初めてだった。

「それは悔しかったなぁーー。」
「ね、ひどいでしょ!」なんて話しながら、
彼女と同じ気持ちになれたことがとても嬉しかった。

***

今回の試験免除は彼女に、
大きな喜びと自信を与えただろう。

自信は武器だ。
特に周りから尊重されず、蔑まれるときには、
自分で自分を信じてあげることが、前に踏み出す力になる。

今日得た自信を武器に、周りからの汚い攻撃を振り払って、
自分の道を進んで欲しい。

2010年11月7日日曜日

自分との勝負。

最近、自分の気持ちの中に変化が出てきた。
まわりに向いていた意識が、今週は自分に向くようになった。

**

孤児院やモザンビークを取り巻く問題は尽きない。
今週1週間だけでも、2人の子どもが学校に行かずに遊んでいた罰として手を縛り付けられて倉庫に閉じ込められ、1週間のうち2日は朝食がなく、夕食はおかずがなく、一人の子どもは脱走を図り、3名が病気にかかり、飲食に使う井戸水にはおたまじゃくしが生まれたので毎回鍋ですくい取っては除去の作業が続き、金曜日には僕を除くすべての職員が欠勤。学校に遅刻した生徒は先生に60円を払わなければ成績をゼロにすると脅されて返ってきた。

僕がここの孤児院の校長先生だったら、モザンビーク人だったら、もっと経験があったら、立場があったら、何かを変えることはもっと易しかっただろう。
しかし施設としても、海外から来た、24歳の、言葉もたどたどしく、いつまでいるか分からない「ボランティア」に、組織の大事な部分を任せることはできない。基本的にボランティアは、「あったほうがいいけれども、なくても支障なく組織は回っていく」という立場に配属される。特に青年海外協力隊の場合は、ボランティアを要請しても適任者が見つかるかわからないし、要請から赴任までに平均して1年近い時間がかかるという。良くも悪くも、(少なくとも初めは)端っこに置かれる。


だから、たくさんの問題に直面しながら、何もできないことに無力感やじれったさを常に感じる。
より「中心」にいる同僚をどうしたら変えられるだろうと考えたこともたくさんあった。
そのことに悩んだり、無力感を感じることはきっと2年間続くと思う。

でも、そんなことに悩む前に、自分自身の課題もたくさんあることも忘れちゃいけない・・・。

***
ここでの自分のJICAの要請内容は子どもたちに基礎的な学習能力を身につけさせ、さらに孤児院での生活が楽しくなるようなアクティビティを提供すること。
病気や進路、生命に関わる、孤児院で起こるほかの問題に比べて、その重要性が低くても関係ない。自分の役割がそこにあることに変わりはないのだ。

この3ヶ月、学習状況や孤児院の生活環境に変化はあったと思う。
だけど、理想とは程遠い。
一緒に勉強すると言ってもすぐに集中力が切れて部屋を出て行く子がいるわ、まったく教えたことが定着しないわ、ノートを盗もうとするわ、他の子のノートを破るわ、みんなで遊ぼうとしても仲間はずれが出るわ、とてもじゃないけど、最低限の環境さえ作れていない。
毎日、新しい方法や仕組みを考えていく。それらは大体空振りする。
模造紙を買って、教材を準備していったときには、僕の見ていない間に子どもがそれを破り、おもちゃにして使われていた。
たまに上手くいったと感じる2秒ぐらいの「瞬間」があるだけで、あとはこれも失敗、あれも駄目だった、あそこはこうするべきだった、そんなことを思い返しては一日が終わる。

でも、そうした挑戦を続けられることはとっても恵まれているんだと思う。
そんななかで、もっと挑戦して、失敗して、それでも挑戦しなきゃと思い立たせてくれる二人の言葉。

***

一人目は24歳にしてアメリカやヨーロッパで活躍するジャズピアニスト、上原ひろみさんの言葉。

「たとえばうまく弾けない日が3ヶ月とか続いても、
原因が自分にある時点で、それは苦労でも挫折でもないですね。
戦地の子供とかは自分に原因があるわけでもないでしょ?
それなのに自分は曲がうまく弾けないからスランプだとか・・・。

そういうのは...
とにかくできるまでやれってことでしょ。笑」

もう一つは、ノーベル化学賞を受賞した下村脩さんの言葉。

「やりたいことをやって行き詰ったらどうするか」と、聞かれたこともある。

この質問の真意が私にはわからない。
すぐにあきらめたり、ほかのことに移ってしまったりするのは、
それはそのことがほんとうにやりたかったことにはならなかったのではないだろうか。

研究者として、私は実験がうまいとも言われる。
「神の手を持つ」などと神格化するようなことを言われたこともある。
ところが実際のところは不器用で、実験は上手ではない。

よく失敗する。
ただ、簡単にはあきらめない。
うまくいかなかったら考え直して、別のやり方を試みている。
だめだったらもう一度、それを何度も繰り返す。それだけだ。
あらかじめ、予定されている成功などはないのだ。

日本の若者にいいたい。

がんばれ、がんばれ。

物事を簡単にあきらめては駄目だ。」


子どものせいにしたり、協力してくれない同僚のせいにした時点で全てが止まる。
他人の領域に関心は持ちつつも、行動するのは自分の領域から。
毎日新しいことに挑戦できて、すぐにそのフィードバックが帰ってくる、失敗されても誰もクビにならない、そんな環境に心から感謝して、
何かと子どもやアフリカのせいにしがちな自分に喝をいれとこう!