こんにちは。

青年海外協力隊として2年間モザンビークで活動中です!

2010年9月28日火曜日

どこで何をしているのか

先月から配属先での活動が始まりました。
(協力隊では、自分たちが働くところを配属先と呼びます。公共機関や学校、NGOが多いです。)



僕が働くのは、公立の孤児院。40人弱の、家族と一緒に住むことができない子どもの面倒をみている施設です。子供は2歳から18歳まで、ほとんど男子ですが、女の子も10人くらいいます。両親をなくしてしまった子、両親はいてもお金がなくて育てられない子、親元から逃げてきた子、迷子になって親とはぐれた子、障害があるために家族から見捨てられた子どもたちなどが生活しています。

迷子がいるっていうことに驚いたかもしれませんが、30%ぐらいの子が迷子で来ています。親が仕事を求めて中心地まで来たんだけれど、慣れない移動で子どもとはぐれてしまう。さらにこっちでは警察の機能が弱いために自分の子供がどこに預けられているのかわからない、どこに預けられているかわかってもひきとりにいく交通費がない、孤児院の存在を知らず、道で暮らしていると思っているため迎えに来ない、などの要因で子どもは孤児院での生活を余儀なくされています・・・。親は携帯電話を持っていないことが多く、子どもも番号を知らないので連絡のとりようもないんです。

大半の子供たちは、孤児院から近くの学校に通っていますが、全寮制の学校に入り、夏休みだけ孤児院に戻ってくる子なんかもいれば、学校が嫌いで行かなかったり、学期の途中に孤児院に来たために学校に行っていない子どももいます。

職員は約10名。校長先生、予算管理係、教育係、警備係、料理係など。そのなかで僕は2人の教育係の同僚と一緒に、子供たちの教育を担当しています。

公立の孤児院なので、とにかくお金がありません。
子供たちは靴をはいていないし、ぼろぼろにやぶれた服を着ています。子供用の小さなベッドに2-3人が寝る状態。食事は白米と魚、鶏肉、野菜などあるようですが、僕がみたときは魚といっても魚の頭の一部だけ。魚肉は入っていませんでした…。教科書は持っていないし、ノートも十分にはありません。ある中学生の子は自分の服を売ってノートを買ったと言っていました。


遊び道具はサッカーボールが一つ。みんな、コーラのビンのキャップとか、石で遊んでいます。

40人も子供がいると、うるさくてにぎやかかと思うかもしれませんが、一緒に遊んでいない限り、どことなく寂しい雰囲気です。


それから驚いたことは、子供たちには「大人と遊ぶ」という考えがないこと。日本だったら学校に20代のお兄さん・お姉さんが遊びに来たら一緒に遊ぼうと寄ってくると思うのですが、こっちの教育係のお姉さんたちは厳しく子供を叱っていて一緒に遊んだりはしないようなので、子供もそもそも「大人は自分たちをしつける人たち」だと思っていて、一緒に遊ぶ人たちとは思っていません。

ここでの僕への要請内容は、孤児院の生活をもっと楽しいものにすること、子供たちが孤児院を出ても自立できるような学力、生活力を身につけるようにすることです。

はじめのうちは子供の名前を覚えたり、教育係のお姉さんたち二人と一緒にモザンビークや日本の遊びを一緒にやっていました。
現状は複雑ですが、その分強いやりがいを感じます。
少しでも何かを変えられる希望を持って!

1 件のコメント:

  1. 孤児院の様子がよくわかりました。日本では考えられない悲惨さですが、少しでも子供たちの微笑の明るさを増せば大成功です!

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